九州の北西部に位置する福岡は、古くから朝鮮半島、アジア大陸への玄関口であった。人口約140万人を抱える九州一の大都市となった今も、国際線が発着する福岡空港、韓国の釜山を結ぶフェリーが行き交う博多港を抱え、その役割は変わらない。

 2千数百年前、稲作と鉄や青銅器が朝鮮半島からもたらされ、日本列島が文明への道を歩みだしたのも、この地域からであった。古代の朝廷は、九州全域を治める政庁・大宰府を置き、隋・唐(中国)への使節の多くは那の津(博多港)から出発した。12世紀から16世紀半ばまでは日本で最も栄えた貿易の町だったという。ただ、13世紀の末、二度にわたってモンゴル軍が襲来し、その時に築かれた防塁が今も沿岸に残っている。

 アジアとの色濃い歴史を持つ福岡を旅してみた。

 博多湾にのぞむ福岡の中央を那珂川が流れている。17世紀はじめ、那珂川の西に福岡城が築かれ、西側が政治の町・福岡として、東側は商人の町・博多として新たな発展をとげていくことになる。河口近くで二つに分かれた川が囲む中洲は、二つの町を取り持つような歓楽街として栄えてきた。

 JR博多駅から歩き始めると、駅のすぐ西側で、寺院の集まる静かな一画に入った。古い土塀が残る大きな寺院は、聖福寺。中国の宋に留学した栄西が興した日本最初の禅寺で、栄西が持ち帰った茶の種がきっかけで、お茶は日本全国に広まったという。

 中洲へ向かうと、橋の手前に櫛田神社の大きなイチョウの木が見えてきた。商売繁盛の神様として市民に親しまれてきた神社だ。裸の男たちが山車(山笠)を担いで走る勇壮な夏祭り・博多祇園山笠(7月1日〜15日)は、博多の商人たちのエネルギーを今も伝えている。また祭りの時、町々には人形を高く飾り立てた豪華な「飾り山笠」が作られるが、境内にはそのひとつが展示されていた。

 まだ眠りの中にある中洲の歓楽街を抜けて川を渡る。九州の政治・経済の中心地である天神から、福岡城跡へ向かった。現在は石垣と門や櫓、堀などが残るばかりだが、広大な舞鶴公園として開放されている。その中で、7世紀から11世紀まで大宰府の迎賓館として外国使節を接待した「鴻臚館跡」が発掘され、復元されていた。ここにはまさに、古代からのアジアと福岡の歴史が積み重なっている。

 夕暮れが迫り、那珂川が中洲のネオンを映し出す頃、中洲や天神の通り沿いに屋台が立ち並ぶ。大型開発が進み、近代都市へ姿を変えた福岡で、屋台街は、まるで台北や香港、バンコクのような雰囲気を持っている。

 屋台のメニューはラーメン、おでん、てんぷら、餃子などさまざま。どこも10人も座ればいっぱいになる。見知らぬ人同士がすぐ打ち解ける、不思議な魅力がある。いい匂いに誘われ、天神の屋台「まみちゃん」の暖をくぐった。お勧めのひとくち餃子や手羽先など、どれも旨いものばかりだ。

「ここで知り合って結婚したカップルはもう5組になるんです」と、店主は料理を作る手を休め、うれしそうに話してくれた。

 翌日は福岡の喧騒を離れ、太宰府に向かった。西鉄太宰府駅を降り、太宰府天満宮への参道を進む。学問にすぐれ、9世紀に政治改革に取り組んだ菅原道真が祀られる神社だ。道真は失脚して大宰府に左遷され、不遇のうちに亡くなったのだが、今日では学問の神様として受験生の強い味方になっている。参道の両側にずらりと並ぶお土産屋から、名物・梅が枝餅の香ばしいかおりと「食べていかんね」の声が流れてきた。アツアツの餅は、旅の疲れを癒してくれる素朴な味わいだった。

 天満宮の境内から小高い山に伸びるエスカレーターを昇ると、目の前に巨大な建物が迫ってきた。ゆるやかな波を描く青い屋根、周りの山々の緑が映りこむガラス張りの壁。九州国立博物館だ。中に入ると、そこは4階まで吹き抜けの巨大なホールが広がっていた。

“日本文化は、どのようにアジアとかかわって、独自の文化を形成してきたのか”をテーマに、2005年10月に開館した4番目の国立博物館だ。まさに古くからアジアとの交流が盛んだったこの地にふさわしい。

「1階ホールでは、講演会やコンサートなど、学術に限らずさまざまな催しを行っています。市民参加型で、誰もが足を運びやすい、開かれた博物館を目指しています」と、九州国立博物館広報課の久保田資子さん。

 4階には、旧石器時代から近世までのアジアと日本の歴史を紹介する、1500m²もの広い文化交流展示室がある。決められた順路はなく、来館者はそれぞれ興味のあるテーマを自由に鑑賞することができる。

 また、1階にあるアジア文化体験エリア「あじっぱ」では、音楽や踊り、おもちゃなどを通して、アジアやヨーロッパ各地の文化や歴史を体験できるのも、この博物館ならではの特徴だ。福岡という土地柄、アジア各地からの観光客も多く、展示室には、英、中、韓のイヤホンガイドが完備されている。

 九州国立博物館は、アジアの各地と日本をつないでいくに違いないが、この「あじっぱ」を通しても小さな国際交流も生まれることだろう。

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