
2025 NO.37
Menu交流する都市、大阪
博覧会で進化する街
大阪では19世紀以来、さまざまな博覧会が開催され、そのたびに都市の産業や文化が発展を遂げてきた。
「第五回内国勧業博覧会全景明細図」(所蔵=尼崎市立歴史博物館)
博覧会跡地から生まれた繁華街
連日多くの人々で賑わう大阪南部の繁華街「新世界」の歴史は、1903年の「第五回内国勧業博覧会」に始まる。産業振興を目的に国内外の最新技術が披露されたこの博覧会では、当時としてはめずらしいエレベーター付きの展望塔や夜間照明などが登場して話題を集めた。会場には453万人もの来場者が押し寄せたという。博覧会終了後、跡地には現在の天王寺公園や、大阪のシンボル・通天閣のある遊園地「ルナパーク」が建設された。ルナパークはわずか10年で閉園したが、娯楽施設が建ち並ぶ行楽地として発展。賑やかな博覧会の雰囲気は今もなお受け継がれている。
都市のシンボル誕生と交通網の拡充
1925年には大阪の市域拡張を記念した「大大阪記念博覧会」、1948年には第二次世界大戦からの復興を期した「復興大博覧会」などが開かれたが、大阪の都市にとりわけ大きな影響を与えたのは、1970年に開かれた国際博覧会としては日本初の「日本万国博覧会(大阪万博/ EXPO’70)」である。
大阪市中心部から約13㎞北に位置する千里丘陵を会場にしたこの国際博覧会は、「人類の進歩と調和」をテーマにさまざまな展示パビリオンが設置され、6400万人を超える来場者が訪れた。大阪万博閉幕後、広大な会場跡地は万博記念公園として整備され、テーマ館の一部として建てられた「太陽の塔」はそのままに、国内外の民俗学や文化人類学の資料を展示する「国立民族学博物館」が建てられた。近年では複数の体験型施設やショッピングモールから成る大型複合施設もできて、人気を集めている。
博覧会の開催にともなって、交通輸送網の整備も進んだ。新設された「北大阪急行電鉄」もそのひとつだ。連日万博来場者を大阪都心部から会場のある千里丘陵へ運んだ。万博終了後も、大規模住宅地「千里ニュータウン」に住む人々の生活に欠かせない足となり、現在も活躍を続けている。
未来に向けた都市づくり──EXPO 2025 OSAKA, KANSAI, JAPAN
そして「2025年日本国際博覧会(EXPO 2025 OSAKA, KANSAI, JAPAN)」の開催を控え、会場周辺では広い道路が整備され、地下鉄では路線が延びて新駅ができ、主要駅のリニューアルも進んでいる。会場となる夢洲は大阪湾に浮かぶ人工島で、水都・大阪らしい水辺を活かしたデザインが特徴だ。
博覧会を通して進化を続けてきた大阪。新たな万博を契機に、暮らす人にとっても訪れる人にとっても、さらに魅力的な都市へと変貌していくことだろう。