niponica

2025 NO.37

Menu

街歩きにっぽん街歩きにっぽん

7

世界に開かれた商人の町

海外との交流で栄え、16世紀には自治都市を築き上げた。
豊かな文化と進取の気風は、いまも残されている。

写真●栗原 論, Aflo, PIXTA

堺旧港にたたずむ「旧堺燈台」

方位をつかさどる神社として、旅行や転居の無事を願う人が参拝する「方違神社」

「百舌鳥古墳群」のなかでもひときわ目を引く「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」(写真=堺市)

新大阪駅から南に向かう電車に揺られること、およそ30分。辿り着くのは、大阪府内では大阪市に次ぐ人口を抱える大都市・堺だ。臨海部に最先端の工場が建ち並ぶ近畿地方屈指の工業都市は、古くは海外との交流を通して豊かな文化を育んできた歴史を有する。

旅の好きな人に身に着けてほしい、方違神社の「旅行安全守」

堺の地名は、かつての地方行政区分である摂津・和泉の「境」に位置したことに由来する。「方違神社」は河内を含めた三国の境界に立つことから、どの場所にも属さない、方位のない聖地として尊崇を集める。その南側には、4世紀後半から6世紀前半にかけてつくられた44基の墳墓から構成され、世界遺産に登録される「百舌鳥古墳群」が広がる。なかでも全長約486mの「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」は、世界最大級の墳墓のひとつ。この地は、東にあった都への道が通る交通の要衝で、海外から多くの使者が行き交ったという。墳墓の雄大な姿は、国力の大きさを顕示する役割も担ったことだろう。

海外との交流で栄えた賑わいを今に伝える『南蛮屛風』(提供=堺市博物館)

15世紀頃、中国との交易船の発着地となったことをきっかけに貿易港が形成され、さらに16世紀にはポルトガルやスペインの船も到来し、堺は海外からの来訪者で賑わう国際都市として発展。交易で財を成した商人たちが街を治め、堺は自由闊達な気運をもつ自治都市としてさらに栄華を極めた。往時の面影は絵画などを通じて知ることができるが、堺の歴史と文化を紹介する文化観光施設「さかい利晶の杜」では、VR体験を通して当時の街並みや人々の生活の息吹を感じることができる。

「さかい利晶の杜」のVR映像で、16世紀の堺にタイムトリップ (提供=さかい利晶の杜)